アフリカ国別情報(エチオピア)
エチオピアとはどのような国なのでしょうか?マクロ数値や経済構造について解説しています。
エチオピア製Tシャツが日本のメガブランドから発売されるまで
今年2月のある日。最後の出荷がエチオピアから日本に向けて出発した。エチオピアで生産したある日本ブランドのTシャツ30万枚だ。ここ何カ月もの間、エチオピアに入り浸りだった生産・品質管理チームが胸をなでおろした瞬間だった。
「メード・イン・エチオピア」のニット衣料が日本市場で販売されるのは、少なくとも21世紀に入ってからは初めて。エチオピア、いやアフリカにおいて、日本企業が日本に輸出する製品を製造した事例としても珍しい。
ストライプインターナショナル(旧クロスカンパニー)は、日本の代表的なSPA型アパレル企業のひとつだ。2014年度の連結売上高は1103億円、グループ店舗数は海外含めて1357店舗(2016年3月末)に上り、ユニクロで知られるファーストリテイリングを追いかける位置にある。
エチオピアのパートナー工場でつくったTシャツは、この春、宮﨑あおいのテレビコマーシャルで知られる若い女性向けメガブランド「earth music&ecology」から販売された。同社の代表的ブランドからの発売は、アフリカ産だからといって低品質が許されたわけでも、アフリカの貧しい人のためにと特別扱いで売られているわけでもないことを意味する。ショップ中央の平棚の目立つところに、他の衣料と同じように並べられている。
2014年の本連載の記事「H&MやGE、サムスンも 『メード・イン・エチオピア』」で取り上げたように、エチオピアでは近年、豊富な若い労働力とアフリカでは珍しい人件費の安さが魅力となり、縫製業をはじめとする労働集約型かつ輸出志向型の製造業において、外資の進出が進んでいる。H&Mや米PVH(カルバンクライン、トミーフィルフィガーなどのブランドを持つ)のような世界のアパレルが、エチオピアでの生産拠点の設立に取り組んでいる。
とはいえ、実際にエチオピア産の衣料を販売できるところまでこぎつけるには、長い時間がかかった。ストライプインターナショナルらと当社アフリカビジネスパートナーズがエチオピアでの衣料生産を検討し始めたのは2014年1月。2年半前のことだ。
最初の会議での風景はいまでも目に浮かぶ。筆者がアフリカでの製造について説明を始めると、ずらりと並ぶ役職者から一斉にネガティブな反応が相次いだ。「アフリカなんかで製造して採算は合うの?」「アジアと比べれば、まだまだ先の話でしょ?」。
実際、アフリカでの製造業は難しい。アフリカ各国の最低賃金は、エチオピアのような例外を除き、月100ドルを優に超える。ワーカーの生産性と技能レベルは高くない。電力、港湾、道路といったインフラが整っておらず、関税、外貨調達、許認可に関するルールが明確でない。
十分な生産性が望めないことから、日本企業からはアフリカは製造業不毛の地とみなされてきた。日本人にとって「メード・イン・チャイナ」は当たり前になっているが、「メード・イン・ナイジェリア」や「メード・イン・タンザニア」と書かれた加工品を目にすることはほぼないはずだ。
それでも、ストライプインターナショナルが最終的にエチオピアでの生産を決めたのは、これからのグローバル展開を見据えてのことだ。衣料は、自動車などに次いで、グローバルサプライチェーンにおいてアフリカが生産地として入り込めている数少ない製品。西アフリカからコットンが輸出され、中国やインドの資本集約的テキスタイル工場で生地になり、それがアフリカの労働集約的工場で衣料になり、アメリカやヨーロッパの市場で販売されている。
背景にはアメリカやEUによるアフリカに対する特恵関税があるとはいえ、エチオピアだけでなく、レソト、ケニア、モーリシャスといった国が、欧米市場に衣料を輸出している。欧米への販売が弱い日本のアパレルにとっては、市場に入り込むためのひとつの機会だ。そして、現地の限られたよい工場を早く押さえた企業だけが、このサプライチェーンに乗ることができる。
生産性や事業環境が整うよりもずっと前のタイミングから、椅子取りゲームは始まっている。アパレルを始めとした日本の製造業は、アジアや他の途上国で、生産面での競争を経験してきたはずだ。中国でもバングラデシュでも繰り返されてきた競争が、アフリカでも起ころうとしている。
生産をやり切るには困難がいくつもあった。現地のパートナー工場は、これまでヨーロッパの顧客を中心としていた。ヨーロッパ市場と日本市場では、品質管理の方法や要求水準が違う。金属混入の有無を検査するために、大人向け衣料であっても全量を検針器にかけるのは日本のアパレルくらいだ。
新しく検針器を購入し直し、プロセスを変更してもらいたい日本チームと、これまでも検査をしっかり行ってきて製品に問題など起こしたことがないという誇りを持つ工場側とで、機械を挟んでにらみ合いにもなった。理解の乖離具合に未熟な筆者はフラストレーションが溜まったが、ここで言葉を尽くし理解を深めたことが、その後の品質を向上させた。
バングラデシュや中国では縫製工場における労働環境の悪さや過重労働が問題になったが、エチオピアの場合、人々は仕事にかまけることや残業を嫌い、金銭をインセンティブにして働かせることが難しい。よく見ると、仕事中もぼんやりしている人がいる。独自の暦を持つため、思わぬ日に祝日があり、みんな休暇をとって故郷に帰ってしまう。エチオピアの人たちの価値観にあわせながら進めていくしかない。
物流も課題のひとつだった。エチオピアからの輸出のオペレーションは不明瞭で、日本への到着日時が読めない。アパレルには致命的だ。フォワーダー会社は事前に何度もエチオピアに入り、船が出ることになる隣国のジブチ港からアディスアベバまでの道のりを、実際に車で走行して状況を確かめた。
一足先にエチオピアでの生産開始を発表したH&Mも苦労している。アパレルの場合、生産性と品質に関するマネジメントと、納期を確かにするサプライチェーンの構築が事業の肝で、これらは経験によって培われるため、時間が必要なのだ。H&Mはまだ安定的な生産を行うには至っておらず、委託先の現地工場を変えながら、現在もトライ&エラーの道中にある。
出荷が終わり、日本に無事到着したという連絡を受けたときに感じたのは、「なんとかなった」というほっとした気持ちだった。2年半前の総スカンを食らった会議から、それでも賛同し、やると手を上げてくれる人が現れ、予期せぬことの連続を経て、やっと日本までTシャツが届いた。今回の生産に関わった日本のチームは、筆者を除き全員がエチオピアに来たのも初めてであったが、いずれもアパレル生産のプロ。日本企業が積み重ねてきたこまやかな途上国での生産での経験が、アフリカでも十分に活きた。
今回の生産がうまくいかなければ、日本では「やっぱりエチオピアはだめだ」という評価になってしまったことだろう。H&Mより先に大量生産を実現したことも大きい。今年のエチオピアからの衣料品輸出量では、ストライプインターナショナルがH&Mよりも多くなる見込みだ。現在日本では、同社に続けとばかり、複数のアパレル企業がエチオピアでの生産を検討している。
(この記事は、日経ビジネスオンラインの連載記事「歩けば見える、リアル・アフリカ」が初出です)
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