足踏みする日本企業、アフリカで製造業は可能なのか

アフリカでは製造業が育たないという声もあるなか、中国企業は成功している。障壁はどこに?

足踏みする日本企業、アフリカで製造業は可能なのか

アフリカに特化したコンサルティング会社を創業して14年目に入った。「アフリカはなぜ経済成長しないのか」と質問されることがある。しかし14年前の創業の頃を思い返せば、この間にアフリカは大きく変化した。ビジネスを行う上でのアフリカの何よりの魅力は、この、「変化すること」そのものであり、若さだ。事業環境や競争が固定しておらず、満たされないニーズが残る。だからこそ、新しい企業が躍進し、新しいビジネスモデルが普及するような、ゲームチェンジの可能性がある。

この14年に目に見えて変化したのは、都市化と消費市場の拡大である。都市化率は各国軒並み5〜10ポイントほど上昇し、道路や鉄道など都市経済の拡大を可能にするインフラ整備が進んだ。初等教育の無償化もあって就学率や識字率は上昇し、スマホとインターネットはアフリカの人々の生活にすっかり溶け込んだ。

「道路インフラに乏しく住所がないアフリカでは無理だ」と言われたeコマースを農村の年配者でさえ使うようになり、「電気がないアフリカではありえない」と言われていた電気自動車や電動バイクがいまでは縦横無尽に走っている。

一方で、工業化の進展はゆるやかに見える。北アフリカの国々は近隣に欧州市場があり、英国のEU離脱やウクライナ侵攻といったリスク事象が起こるたび工場が移転し投資が集まってきたが、サブサハラアフリカの国々(北アフリカを除くアフリカ諸国)については変化が目立たず、「アフリカに製造業は育たない」という声も聞こえる。

私たちアフリカビジネスパートナーズは、これからアフリカに進出しようとしている企業や、既に進出している企業に対して、どの国で、誰をターゲットに、どういう方法で事業を行えばよいか戦略を構築し、代理店や提携先となる現地企業を探して、事業の立ち上げや方向転換をハンズオンで支援するコンサルティングを行っている。一般的なコンサルティングワークに限らず、現地の顧客を見つける営業活動を日本企業に代わって行い、はるか遠い農村にも行けば、カオスの青空マーケットやパパママショップも巡る。

クライアントのアフリカ事業を前に進めるためならば何でもやる、というのが我々のスタンスだ。

そうやって日本とアフリカの間に立って事業を立ち上げていると、アフリカ側が求めており、日本企業が提供できる強みは、技術、それも製造技術だと実感する。しかしながら、自動車や自動車部品など日本を代表する一部産業ではアフリカでも製造を行っているものの、消費財をはじめとするアジアで高いシェアをとってきた企業や、BtoBの現地企業に資機材や原材料を供給する製造業企業のアフリカ進出は順調とはいえず、多くのこれら日本企業は進出の手前で足踏みしている。日本の製造業の足踏みは、アフリカの事業環境に原因があるのだろうか

アジアの幸運に恵まれなかったアフリカに、製造業投資を促す「人口」という武器

経済を成長させるとは、国富の総量をいかに効率的に増やすかであり、そのために製造業はとても有効な手段だ。多くの国民を市場経済に巻き込み、付加価値を高め効率的に稼げるようにすることができ、外貨や外国への交渉力を手にすることで、経済は安定し成長する。

中国やASEAN諸国は、第2次世界大戦から1990年代にかけて、グローバル経済に組み込まれる過程で工業化が大きく進展し、経済成長を成し遂げた。冷戦中の大国間のパワーバランスの中で、世界にアジアの経済成長を促す強い動機があったからだ

一方アフリカは、地政学的に、またタイミングとしても不利だった。世界の大国においては、アフリカの工業化を進めようとする戦略的な動機は乏しかった。2000年から導入された米国のアフリカに対する特恵関税AGOA(アフリカ成長機会法)も、アフリカの輸出製造業を育てるという表向きの目的とは裏腹に、実際には米国が原油や鉱物資源を輸入するために使われてきた。「一次産品の供給地」、それがアフリカが世界から求められてきたことだ。世界がアジアに求めたこととは大きく違う。

このような位置づけをされているアフリカにとって、人口というのは、工業化を進めるための投資を集める上で武器となる。マスを押さえることが重要な生活用品などのグローバルメーカーは、早い時期からアフリカに工場を建設してきた。12億人を抱え、2050年には世界人口の1/4をアフリカが占めることが明らかな以上、アフリカを無視してグローバルに勝つことは不可能だからだ。

規模が見込める消費地立地型の製造業がその典型で、コカ・コーラやビール会社の工場が大量生産を行い、それらに供給する製造ラインの機械・機器類、原料や資材を製造する外資企業が進出してきた。

私たちがコンサルティングを提供する日本企業の3割程度は、アフリカの消費者に売りたい消費財企業だ。ケニア、南アフリカ、ナイジェリアといった大都市を持つ国が中心となる。それらの国の消費者の間には、満たされていないニーズが膨大に眠っている。日本のようにあらかたのモノやサービスはすべて揃っているなかで小さな差異を訴求するのではない。アフリカといえば想像される電気や医療などのみならず、食、健康、人間関係、美容など、さまざまな分野で骨太で基礎的な需要が取り残されている

日本やアジア市場とアフリカの大きな違いとしては、「どうやって売るか」が成功の分岐点であることも挙げられる。コカ・コーラもビール会社も、ここに注力してきた。

「ものづくり魂」が根づく日本企業は製品の質に注力しがちだが、アフリカで消費者に製品を売るにあたってのセオリーは逆である。アフリカの流通は組織化されておらず、製品は人の手を伝って流れる。アフリカで消費財を売るならば、このような流通を前提に自社でモノを動かす方法を構築することで、大きな販売量を生み出すことが可能になる。「売る方法をつくる」のもメーカーの仕事なのだ。

「売る方法」の構築が実に得意な、中国の製造業

実は、中国企業はこれが得意だ。アフリカで最も携帯端末を多く販売するトランシオンや、子ども用おむつで消費者から強い支持を得て各国で工場を設立するスンダがその実例だ。彼らがまず作り上げたのは、農村や小さなパパママショップという、非効率ゆえに後回しにされた流通経路にモノを届ける方法だった。

この流通構築により、トランシオンはサムスンやノキア、スンダはP&Gが盤石とみられていた市場で競争をひっくり返した。スンダなどは、そうやって販売量を増やした結果、各国に工場を開設し、さらにシェアを高めている。中国企業のやり方は、アフリカの市場には、実は満たされていないニーズとより適した販売方法があったことを明らかにした。そして「売れる」ことを起点に製造業を生み出したのである。

「債務の罠」を批判される中国だが、その派手な融資の影で、どんな農村の果てにも中国の工場は存在する。彼らは英語が話せなくてもアフリカにやってきて、製造を開始する。ラインで働いているのは中国の技術トレーニングを受けた現地の人材だ。 

現地の製造業向けに機械や資材を製造している中国企業も多い。特にアフリカで需要が大きな建設資材や鉄鋼、化学品の工場をよく見かける。この領域は本来日本企業が得意とするところだったはずだ

もう手遅れなのだろうか。私たちは、日本メーカーのアフリカ工場向け製品の販売を増やすために、日々アフリカ各国で多くの工場を訪問している。今年2025年は6月末までの上半期で、10カ国200社ほどの現地企業を訪問した。

その経験から実感しているのは、「アフリカの製造業企業の間で、日本製品のブランド力はまだ生きている」ということだ。多くの現地企業は、自社の産業領域にいる日本企業の名前を知っている。日本にはまた、企業向けに資機材を製造し販売する「ニッチトップ」と言われる、世界で高いシェアを誇る企業が多く存在する。

市場の成熟や競争の激化に伴い、アフリカでも高価格帯や高品質の製品へのシフトがあり、日本製品の価格帯や品質と見合う相手もいる。しかし、現地に日本製品の代理店がない。アフリカの企業が日本の本社にメールしても、現地に拠点がなく部品や修理体制がとれないという理由で売ってもらえないのだという。中国企業がスマホの翻訳機能を使ってすぐに商談をまとめ、部品やメンテナンスは旅費を請求して届けているのと対照的だ。買い手にしてみれば、費用がかかろうとも売ってくれる方がありがたいのだ。売る方法をつくれない日本企業は、ここでも機会を損失している

安全保障や貿易摩擦がゲームのルールを変えるとき

アフリカの製造業の可能性を考えるときに、人口を武器にした投資の呼び込みとは異なるモデルとして、モロッコのような事例もある。人口は4,000万人を切るものの、ジブラルタル海峡をはさみ、船で1時間足らずで欧州大陸と行き来できる。

モロッコ政府は「欧州の工場」となるべく、積極的に港や道路、輸出特区を整備してきた。日本企業でも、住友電装、矢崎総業、フジクラといったワイヤーハーネスメーカーや、デンソーやAGCといった部品メーカーが、欧州に立地する自動車工場に輸出するために工場を進出させている。ブレグジットやウクライナ侵攻などのリスクを避けるため、東欧などからモロッコに工場を移転した企業もある。欧州に有事が起こるたび、モロッコへの投資は増えてきた。

モロッコは米国とFTAを締結している。このFTAを通じた米国への迂回輸出を目的に、中国の電気自動車やバッテリー関連メーカーが進出してきている。米国や欧州が中国に設けた輸入障壁を、モロッコ経由で回避しようとする動きだ。

今年4月の段階でトランプ政権が発表した相互関税で高関税率を示された国には、中国をはじめベトナムやバングラデシュなど輸出製造業の拠点国が多い。アフリカでは、レソトのように米国向け輸出が活発であるがゆえに高関税を提示された国もあるが、10%以下であった国も54カ国中34カ国ある。モロッコもそのひとつであり、ケニアやエジプト、ガーナといった、比較的輸出製造業が盛んな国も同様に相対的に低い関税率に留まった。

トランプ関税の不確実性とそれに伴う生産地分散の必要性が世界で高まったとき、例えばアパレル製品など、従来アジアの国々に価格や効率性で勝てなかった製品でアフリカの輸出競争力が向上し、グローバルサプライチェーンに組み込まれていくシナリオはあり得る。

トランプ関税にみられるように、予想外のルールの変更によるゲームチェンジは、意外と起こる。今は米国が、従来からの世界秩序やWTOを規範とする常識からは予想がつかない動きをするなか、どんなきっかけで大国の思惑がアフリカに向くかも知れない。米中対立や、イスラエル、中東、ロシアを巡る安全保障上の懸念は、サプライチェーンや物流を変える可能性があり、アフリカの製造業に機会がやってくるかも知れない。そのときを見逃してはならない。

一次産品を持つ強みが、工業化につながるとき

アフリカの工業化を語るとき、ナイジェリアのダンゴテ社を紹介しないわけにはいかない。セメントや穀物といった国内向けの製造業で巨大財閥となった同社は、新たな事業として製油所を選んだ。10年の辛苦の後、今年1月にとうとうダンゴテ製油所が稼働を開始した。シングルトレイン(単一設備)の製油所としては世界最大、日量65万バレルの巨大製油所だ。

ナイジェリアは産油国ではあるものの、国内の製油所が実質稼働しておらず、原油の精製を全て海外に委ねて石油製品を再輸入してきた。ダンゴテの製油所は国内で採掘される原油を全て精製できるだけでなく、国内需要を超える量の精製が可能なため、ナイジェリアは石油の輸入国から輸出国に変わる。さらには石油化学製品や肥料の製造も開始しており、ナイジェリアに石油化学コンビナートという重工業を生み出した。国内精製により石油の輸入代替が実現したというにとどまらない、大きな変化である。

アフリカの国々は、鉱物や農産物を未加工で輸出することで付加価値を取りこぼしており、工業化の機会を逃しているという認識を強く持っている。コバルトやレアメタルに始まりカカオやコーヒー・紅茶、綿花に至るまで、希少な産地としての交渉力を活用して、アフリカ内で加工するための投資を呼び込もうとする動きがある。トランプ政権が強い関心を寄せるコンゴ民主共和国の鉱物資源も、加工工場を国内に作る議論が繰り返し持ち上がっている。こういったチャンスに、イニシアティブはとれなかったとしても、追随していくことが重要だ。

アフリカを単一市場化することを目指すアフリカ版EUと呼ばれるAfCFTA(アフリカ自由貿易圏)協定も、アフリカの一次産品をアフリカで加工し、付加価値をアフリカに残し、製造業の競争力を増すことを一丁目一番地とする取り組みだ。2021年に運用が開始されて以来、ゆっくりではあるが、域内貿易は始まっている。

日本企業の強みである「製造技術」の活かし方

アフリカの工場には、技術のアップグレードや新たな投資ができずに悩んでいる企業も多い。先日訪れた工場は、父親から継いだ二代目の若社長が、顧客ニーズの高度化に自社の技術や機械がついていけないと悩んでいた。アフリカでも、事業承継は大きな課題となっている。アフリカ各国が独立した頃に創業し、一代で事業を大きくして豊かになった創業者は、自分の子どもは欧州や米国の学校に行かせる。そうすると子どもたちは弁護士や医者などの専門職になって跡を継がない。オーナーの高齢化が進む日本と同じ承継の問題が、背景は異なれどアフリカでも起こっている。

こういった創業社長には技術が好きなこの道一筋の人が多く、日本企業とカルチャーが似ている。こんな技術オリエンテッドな現地企業を日本企業が買収し、より強くする投資がもっとあっていい。私たちが支援した買収案件でも、このような事例が実際にある。日本企業が持つ資金と技術が強みとなる場面だ。

「アジアでの成功体験」の呪縛を超えて

日本企業、特に日本の製造業企業は、アジアの工業化とともに海外売上を増やしてきた。上場企業の海外売上比率を調べてみると、いまや日本の上場企業の大半は50%を超える売上を海外で上げており、グローバル化が進んでいるように見える。しかし、その取引先は中国、タイ、ベトナムといった中国プラスASEAN諸国が大方を占め、米国と欧州が加わればそれで全てだ。日本企業にとっての海外、グローバルとは、これまでほぼアジア地域のみであったともいえる。

日本企業がアフリカで事業を行うに当たっては、このアジアでの成功が、むしろ足を引っ張っているように見える。急激な経済成長の最中のアジアで事業を立ち上げた経験がデフォルトとなり、アフリカでも同じ期間で同じ成果を上げることが求められる。アフリカの顧客のニーズを、アジアの下敷きで理解しようとしてしまう。予断を排除できず、経験に固執し、アジアで成功したのと同じ戦略が通用すると考えてしまう。

これまでやってきたのと違うことは受け入れたくないというのは人の慣性なのだろうか。面白いことに中国企業でも、中国で成功してアフリカに進出する企業より、はじめからアフリカでスタートしたアフリカ生まれの中国企業の方が成功する傾向が見られる。

アジアとアフリカは、違う市場だ。市場によって、戦略は異なるものであるべきだ。顧客のニーズは、予断を持たずにゼロベースで真摯にみるべきだ。日本の製造業がアフリカで事業を行うことは、新しいビジネスモデルや経験を手に入れ、アジアの先の市場でも戦える経営力を手に入れるチャンスになりうる。それが実現すれば、アフリカの工業化も、一歩前に進むはずだ。

(サムネイルの写真はアンゴラの飲料工場)

(この記事は、2025年8月の「外交」への寄稿記事を加筆修正したものです)
※引用される場合には、「アフリカビジネスパートナーズ」との出所の表記と引用におけるルールの遵守をお願いいたします。

執筆者: 梅本優香里

アフリカビジネスパートナーズ代表パートナー。2012年創業、年間500社のアフリカ企業を訪問する

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