H&MやGE、サムスンも「メード・イン・エチオピア」

市場経済後発国が一躍「世界の工場」に

H&MやGE、サムスンも「メード・イン・エチオピア」

このところ、エチオピアの工場を集中的に訪問している。大型の装置を備えた食品・飲料工場や化学品工場、縫製や組立といった労働集約型の工場などだ。工場では、ミシンで服を縫っているのも、ワーカーを管理しているのも、エチオピアの人たちだ。

エチオピアは現在、多くの他のアフリカの国と同様、経済発展のまっただ中にある。しかしエチオピアには、他のアフリカの国とは大きく違う点がある。人件費が安いのだ。

エチオピアの工場労働者の賃金(アフリカビジネスパートナーズ調べ、2014年時点)

アフリカが、アジアのように製造拠点の移転先の候補としてなかなか挙がらないのは、インフラの未整備もさることながら、人件費が高いからだ。例えばケニアでは、工場労働者の賃金は月150ドル程度。国内市場に輸入品があふれ国際競争にさらされている中、生産性や物流費を加味するととても採算が取れない。ケニアで生産するよりも、外から買ってきた方が安く済むのだ。

ところがエチオピアでは、月50ドル程度。南アジアの軽工業集積地、バングラデシュの新しい法定最低賃金月68ドルよりも低い。米国向けや欧州向けの輸出で適用される関税優遇制度を用いれば、よりコスト競争力が増す。

エチオピアには、1970年代から90年代初頭まで続いた社会主義政権の遺産である国営の製造業が多く残っている。外国から輸入しなくても、何でも自国で作れるようにしていた名残りだ。人口9000万人とアフリカの中でも多いこともあり、国営工場を訪ねると、古いながらも規模が大きい立派な設備が入っていることが分かる。

H&MやGEもエチオピア生産

いま、これらの企業は民営化の最中だ。外資では、ハイネケンが国営ビール工場を、仏カステルは国営ワイン工場を買い取った。セメント工場や食肉工場などにプライベートエクイティファンドの資金も入りはじめている。

70年代から操業しているトラックの組立工場は、伊イベコ(IVECO)とフィアットが株の7割を保有している。政府は工業化を急ピッチで進める方針で、2010年には携帯電話の組み立て工場を開設した。まずは中国ZTEのフューチャーフォンの製造から始め、ZTEの中国工場へ人を派遣して組立製造と品質管理を学ばせた。

それから4年経った今年からは、とうとうスマートフォンを製造できる段階に入った。エチオピア初の国産スマートフォンだ。さらにこの工場は韓国のサムスン電子と契約し、今年から日産50台でプリンターの製造も開始した。サムスンのラインには工場の中でも優秀な人を集めているが、その給与は福利厚生等すべて含めて月75ドルだ。

この工場で作られている携帯電話やスマートフォンは、現在のところエチオピア国内だけでしか売られていない。しかし、政府が目指しているのは、エチオピアで製造された製品がグローバルサプライチェーンに入ることだ。

H&Mは、今年からエチオピア製の衣料を、世界のH&Mのサプライチェーンに乗せる。国内3社の縫製工場に生産を委託したのだ。3社を訪ねると、見慣れたH&Mのタグと、ユーロやドル表記の値札がついたTシャツが積まれていた。求められているグローバル水準の生産体制づくりに、工場内は活気づいている。

H&Mの衣料を製造している工場(ABP撮影)

米ゼネラル・エレクトリック(GE)はエチオピアを、アフリカにおける医療機器の生産拠点としようとしている。GE製エンジンの顧客でもあるエチオピア航空に乗せて、アフリカ中に医療機器を運ぶのだ。先に挙げたサムスンは、プリンターの次は冷蔵庫、テレビ、ラップトップと組立品目を増やしていくことを表明している。市場はエチオピア国内だけではないはずだ。

花卉のように何もないところから新たな輸出産業に育てあげたものもある。バラの輸出額で世界のトップ5に入る隣国ケニアの真似をしてか、政府は2006年頃からオランダ企業の誘致を開始、土地を安くリースするなどしてバラ生産を後押ししてきた。あっという間にキャッチアップし、2012年にはヨーロッパ向け輸出額でケニア、オランダに次ぐ第3位へと踊り出た。エチオピアのバラが、オランダの花卉市場を経て、世界中に運ばれている。

仏カステルによるワインの製造も政府の肝いりで開始した。エチオピア人は意外とワインを飲む。いまは国内マーケットがメインだが、ゆくゆくは生産量の半分は輸出することで政府と合意している。ちなみに、エチオピアワインは隠れた名産品で、わりと、いける。チリワインや南アフリカワインのように、世界のワインマーケットで新しい地位を得る可能性もある。

エチオピアにいると、欧米のグローバル企業だけでなく、その製造を請け負っている中国やバングラデシュの企業までもが、生産拠点の移転を検討しにやってきているのに出会う。中国から東南アジア、南アジアと安く若い労働力を求めて動いてきた労働集約型製造業は、高くなった人件費や東・南アジアの政情不安リスクを回避するために、次の場所を探している。昨年のバングラデシュの工場崩壊が、ひとつのターニングポイント。行き着いたのが、エチオピアだ。

トルコもまた、エチオピアに熱心な国のひとつだ。地図を見れば一目瞭然、トルコを南下すればすぐにエチオピアだ。若く安い労働力にあふれ「ヨーロッパの生産拠点」だったトルコの労賃が月1000ドル近くまで上がったことから、トルコ企業のエチオピアへの生産拠点移転が進んでいる。縫製、化学品、電気製品などの製造業を含め、現在115社のトルコ企業がエチオピアに進出している。

折しも従来の「世界の工場」への不安要素が広がるタイミングで、政治が安定してコストが安く、ヨーロッパに地理的に近いエチオピアが、グローバルサプライチェーンの一端を担う、「チャイナ・プラスワン」、「トルコ・プラスワン」の候補地として注目され始めている。

「30年前の中国に似ている」

エチオピアが他のアフリカよりも人件費が安いのは、市場を開放し構造調整を受け入れたタイミングが他より遅かったことと、政府の保護的な政策のコントロールが効いているためだ。言い換えると、経済の自由化はまだ始まったばかり。輸出入には制限がかけられており、国内市場は国際競争に巻き込まれていない。国営企業がまだ多く、通信も金融も航空も、国がコントロールしている。

そのせいか、エチオピアはアフリカでは珍しくインターネットがつながりづらい国である。政府による検閲やSMS発信の規制もあるとされ、スカイプの使用を刑事罰対象とする法案が成立したこともあった(後に個人間のスカイプ使用は対象外と発表)。経験からも、フェイスブックにはアクセスできるものの、クラウド系のサービスはエチオピアでは繋がらないことが多い。

エチオピアの町には、2012年に急死した前首相メレス氏の顔写真が、人気歌手のブロマイドがごとくあちこちに張ってある。形式的には民主主義だが、実質的には一党独裁だ。国民は農協組織を通じて、末端まで組織されている。大型のインフラ投資をいくつも抱え、痛烈に外貨が欲しい政府は、外資の投資誘致に非常に積極的だ。しかし、そのインセンティブを得るためには、エチオピア政府が望む形での投資をしなければならない。自由経済と社会主義がまだらに混在しているのがいまのエチオピアだ。

故メレス前首相は、社会主義政権を倒し、改革の闘士としてエチオピアに現れた。彼の登場以降、自由化は進み、国営企業の民営化が行われた。大型の水力発電所の建設や港湾までの鉄道整備など、エチオピアの産業基盤を作るための大型インフラの資金獲得に目処を付けた。

中国が計画経済から改革開放に転じ、グローバルサプライチェーンの一端として名を挙げだした1980年代後半、賃金レベルは月5000円程度だった。ちょうどいまのエチオピアと同じ水準だ。インフラも未整備で、深センと広州の間の輸送に12時間かかった。海外ブランドから靴のOEMを請け負う中国企業、華堅集団(Huajian)の社長は、「今のエチオピアは中国の30年前と似ている」と言う。

「インフラが整備されておらず、仕事を求める人であふれている。工場の生産性は低く、トレーニング前だと中国の3分の1程度だ。しかし、エチオピアには大きなポテンシャルがある。単なる低コストの生産地としてではなく、10年後のグローバルなサプライチェーン網の変化を見据えてエチオピアを選んでいる」とその社長は語る。エチオピアですでに工場を稼働している同社は、2022年までには中国工場の2.5万人を超える3万人をエチオピアで雇う予定だ。

今、同社のエチオピア工場の生産性は、中国の7割程度まで近づいたという。前述のスマートフォンを製造している工場では、中国式の生産性向上の仕組みが取り入れられている。中国の工場のように、ワーカー一人ひとりのアウトプットを計測して、結果に応じて昇給していく仕組みだ。のんびりしているエチオピア人は、人に勝ってより多くの報酬を得たいという欲求は高くないように見える。それも、変わっていくだろう。

エチオピアの首都、アディスアベバのカフェチェーン(ABP撮影)

飛行機で上空からみると、エチオピアの首都アディス・アベバとその近郊には、数えきれないほどの団地が建っているのが見える。同じ形、同じ色の塊が並ぶ。首都に流入してくる人々のスラム化を避けるために政府が建築した低所得者用住居だ。中国企業が建設したため、どこかの中国の都市のようにも見える。窓にはパラボナアンテナがこれでもかと付けられている。

アディス・アベバはここ5年でまったく違う都市になった。経済が発展し投資が流入しているのが目に見える。ロシア製のぼろぼろタクシーが道を縫う中、トヨタのヴィッツやランドクルーザーも走っている。山羊や羊を連れた人たちが歩く道路沿いには、現地資本の、スターバックスもどきのおしゃれなコーヒーチェーンや、ハンバーガーチェーンが並ぶ。

スマホが普及し始め、政府は4Gの導入を発表し、まだ売られていないアップル社の林檎マークがあちこちに張られている。とにかく建設工事が多いが、一方で資金切れして建設が途中で止まっている建物も多い。バイバスが開通し、通勤用の近距離電車が走る。豪奢なシェラトンホテルにはいろんな国のビジネスパーソンが商談をしている。

私が今、エチオピアの工場を集中的に訪れているのは、日本企業の得意とする「製造拠点移転による海外展開」の受け皿となる可能性があるからだ。現地にまだ日本企業は少ない。アジアの国々ほど、お膳立ては整っていない。生産性は低く、不良品率は高く、ある程度の水準にもってくるには何年かかかるだろう。流れにのって進出できる場所ではない。しかし、いま始めないと出遅れるのは、他のアジアの国で経験してきたとおりだ。

米系プライベートエクイティファンドKKRは今年、エチオピアの花卉企業に2億ドルを投資した。カルバンクラインやトミーヒルフィガーを製造販売するアパレル企業PVHも、エチオピアでの生産を開始する見込みだ。日本企業でも、いくつかの製造業がすでに話を進めている。エチオピア航空による日本直行便も今年12月に就航する予定だ。今が絶好のタイミングだ。

(この記事は、日経ビジネスオンラインの連載記事「歩けば見える、リアル・アフリカ」が初出です)
※引用される場合には、「アフリカビジネスパートナーズ」との出所の表記と引用におけるルールの遵守をお願いいたします。

執筆者: 梅本優香里

アフリカビジネスパートナーズ代表パートナー

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